会員さんに面白いよと勧められて読んだ本です。

『呪いの時代』内田樹

賢い人というのは、「こんな感じ」というイメージや感覚を言葉にできる人だという印象があります。

それで、この本を読んでもなるほどと思うことが多かったのです。

少なくともこういう思考をすることで、みんなが今よりも幸せになれるんじゃないかなと思うんです。

「呪い」=批評的な言葉づかいと定義して

「弱者」は救済を求めて呪いの言葉を吐く

「被害者」は償いを求めて呪いの言葉を吐く

「正義の人」は公正な社会の実現を求めて呪いを吐く

でも、その呪いは、おのれ自身へも向かうのだと。

批評する人の多くは、自分がどういう基準で情報を収集しているか、または、どういう基準で情報を棄てているかを意識していない。

意見の相反する者が、正しいと間違っているだけで判断されるとき、何かを壊すことはできても何かを創造することはできない。

破壊する人が提示できるのは、かつて存在したものの残骸

創造するということは、個人的であり具体的なこと。

先日、内野安彦さんの出版記念講演会に行ってきました。そのときになるほどと思ったのが、「読者はじゃんけんでは後出しするという存在。

批判を受けることが出来る人でなければ出版はできない。」と言われていました。

批評は誰にでもできます。欠点のない人間も文章もありません。

本を読んでいてこの話を思い出しました。

「呪い」がこれだけ広がったのは、人々が自尊感情を満たされることを過剰に求め始めたからだと言います。

「本当の私はこんな連中とこんな仕事をしているレベルの人間じゃないんだ」というヤツです。

では、どうすればよいかというと、「このような」ものでしかない自分を受け容れ、承認し、「このようなもの」であっても一生懸命生きようとしている存在であると「祝福する」ことが大切だと。

確かになと思ったのです。

例えば、ネットでも現実でも、人に嫌がらせをしたり、批判ばかりしたり、揚げ足をとっている人を幸せそうだなと思う人はいないと思うんです。

中原淳一さんが「他人から、幸せそうに見えるということは幸せである部分もあるんだ」というようなことを書かれていました。

同じように「幸せそうに見えない」と思われたときは、やはり、幸せでない。その批評とともに幸せが奪われているという感じでしょうか。

批評が正しいのであれば、その批評を言葉にしたあなたは何をしますか?

「「壊す」時代から抜け出して、「作る」時代に踏み入れるべきだろうと思う。」という提案を受け入れたときに、新たな世界が広がるように思います。