最近よく読んでいるエーリッヒ・フロムの本です。
この本も気になった箇所を書き出します。
「すべての責任を周りの人間に押し付けられるのですから。」
精神分析の際に行きつく、話に対しての言葉です。
責任を周りに押し付けられる、この状態を「気楽な話」と言い放ちます。
「両親とは違う意思決定をする可能性を、私は子どもの頃、
持っていなかったのか。」
両親の影響は大きいとはいえ、両親に責任があり、自分は
被害者なのかという話に対して。
「本当に人間やその無意識に興味があるなら、教科書を読まずに、
バルザック、ドストエフスキー、カフカを読むことです。」
心理学の文献を読むことよりもときには、バルザクを読むほうが
人間分析の理解のよい訓練になるということもある。
「たくさんの愛」「十分な愛を得ていなかった」という概念は、
「子どもが十分な食べ物を得ていなかった」ということと替わりがなく、
持っていることとつながるこのような言い方は、自分を守ることの
一つの方法になっている。
愛は、「私は愛しているか。愛していないかのいずれかです。」
「自分自身への過剰な関心をやめることです。」
「私が純粋に重視するのは、単なる知的な側面の精神形成というよりも、
精神を豊かにすることです。(中略)すなわち、人は何を読むかです。
読書を始めるべきだと私は思います。それも意味ある本を真剣に読むべきであると
言いたいのです。私の印象では、現代の読書法は、あまり努力して読むべきでなく、
気楽で、短時間で、すぐ楽しめるべきだという考えに支配されています。」
「読書に関する最も重要な点は、言うまでもなく、人が自分自身の信念を形成し、
価値観を持し、自分の望む人生の方向性を持つようになるということです。」
「人類が創造してきた偉大なものから学ぶのを放棄することは、基本的に
無教養なことです。」
「批判的に考えることを学ぶこと」
「自己分析は、じっくりと時間をかけて、ゆったりとした気分になって、いろいろと
感じ始めるということを意味します。」
訳者解説より
「被分析者には人間への関心が欠如しているというのが前提である。」