著者の内田樹さんは、合気道の道場を主催されています。

著書『レヴィナスと愛の現象学』を読んで(感想はこちら) 、ご本人にお会いしたいな~と思っていたところ、合気道の道場に通っていますという方にお会いして、「行きたい!」と行ったところ、見学はどうぞとのこと。

行くにあたっては、やはりもう1冊くらい読んで、お話ができたときには気の利いたこともいえるようにと手に取った2冊目の本がこちら。『邪悪なものの鎮め方』

まずは、気になった部分を書き抜きます。

「「こだわる」というのは文字通り「居着く」ことである。(中略)「被害者意識を持つ」というのは、「弱者である私」に居着くことである。」「「強大な何か」によって私は自由を失い、可能性の開花を阻まれ、「自分らしくあること」を許されていない、という文型で自分の現状を一度説明してしまった人間は、その説明に「居着く」ことになる。」居心地がいいからと落ち着いてしまうと「そして、一度、自分の採用した説明に居着いてしまうと、もうその人はそのあと、何らかの行動を起こして自力で現状を改善するということができなくなる。」

なるほどなと感じた一連の文章です。

誰かのせいにしてしまう、責任を誰かに押し付けてしまうことはとても簡単で、そして楽なことです。その状況は、とても居心地がよいものだと思うのです。

ただ、その状況に陥ってしまうと大切な多くのものを失ってしまうのではないかと感じます。

その居心地の良さはだんだんその人を蝕んでいき、だんだんその人から体力・気力を奪っていくものだと思います。

でも、自分がその状況に陥っているとはなかなか気がつかない。

いつも自分自身が行っていることを見つめること、そして、周りの人に意見を言ってもらい、気がつけるようにしておきたいなと思った文章です。

「世の中が「自分のような人間ばかりであったらたいへん住みにくくなるというタイプの人間は自分自身にのろいをかけているのである。」

これは、そうだなと思ったものです。

「のろいをかける」大げさな言い方かな?と思ったのですが、自分を愛せない、自分を肯定できないということは、結果、そういうことになるんだろうなと思います。

「「仕事」には「私の仕事」と「あなたの仕事」のほかに「誰の仕事でもない仕事」というものがある。そして、「誰の仕事でもない仕事は私の仕事である」という考え方をする人のことを「働くモチベーションがある人」と呼ぶのである。」

前職では言われたこと以外の仕事はしたくないという人たちと働いていました。

この文章を読んで、あ、なるほど、こういう見方もあるのかと思ったのです。足の踏み場もなく、物をまたがないと奥までいけないという倉庫を整理したときは、使いやすくなっても誰からも何も言われないどころか、かえって文句を言われました。

同じようなことがこの本の中に書かれていて、やっぱりどこにでもあることなんだと思ったものでした。

はじめて手に取った本が難解だったのですが、エッセイはとても読みやすく、なるほどと思うことが多かったです。

ちなみに合気道ですが、見学に行って通いたいなと思ったのですが、現状では条件が合わず・・・。

自分がやりたいと思ったことがすぐにできるように仕事を調整していかないと。道場では、二言、三言しか会話できず。いつかお話できるときのために、続けて本を読み続けます。